離婚しようと決意するまでの間、こどものことや夫婦間のことなど、様々考えました。
今回は生活していく上でのメンタル面について、考えたことなどを書きたいと思います。
感情を分け合える人が側にいること
夫婦って何だろう。
別居を決めるときや、別居後、そして離婚を決めるまで、何度も考えました。
夫婦に求めるものは人それぞれ違いますが、夫婦間でそこがずれてしまうと、どうしてもうまくいかなくなってしまいます。
私が精神面でパートナーに求めたものの一つに「感情の共有」があります。
互いに日々のできごとや思ったことを話して、嬉しいときに一緒に喜んだり、悲しいときに一緒に悲しんだりする。
それだけで、幸せなときはもっと幸せに、悲しいときは、少し救われたりします。
理不尽なことがあっても、「酷いよね」と一緒に怒ってくれるだけで、気持ちが軽くなります。
その一つ一つは何気ないけれど、積み重ねることで互いが互いの支えになることができると思っていました。
相手にASDの気質があったことも関係あるのか、元夫は「共感」が苦手でした。
私が話しかけても相手は上の空で、短い「そっか」「へえ」「そうなんだ」という返事が戻ってくる。
また、元夫は自分のことを話すのも苦手で、結婚してからは、自分からはほとんど話すことがありませんでした。
「そうなんだ」以外言うことないの?と聞いてみたこともありましたが、悪気なく「別に」と言われ、これ以上は求めてもしょうがないなと諦めました。
元夫は話すこと、コミュニケーションを求められることがストレスになるようでした。
それだけが原因ではありませんが、徐々に会話もなくなり、お互いの心の距離も離れていきました。
もう一度再構築を試みたら、または時間が経てばそのうち、もう一度、昔のように生活したり、話したりできるのではないか。
そう思って悩みました。
けれど一緒に生活していく中でのストレスの方が大きく、また、相手も再構築するつもりがなかったため、私たちは一緒に住むことを諦めるという選択をしました。
思い出を共有すること
別居してから、実家の助けはあるものの、一人で子どもたちを育てていました。
育てること、それ自体は楽しい。
けれど、例えばごはんを食べながら寝てしまった可愛い寝顔や、初めて自転車に乗れたこと、毎日の兄弟げんかや幼児3人連れてのバタバタな旅行。
これらの大切な思い出も、覚えているのはきっと自分だけなんだと思うと、少し寂しい気持ちになります。
昔の級友と思い出話に花が咲くように、夫婦2人で共有してきた時間は、2人の大切な記憶となるはずでした。
その一瞬しかない可愛かったこどもたちを、大変だった子育ての記憶を、こどもたちが大きくなった後で一緒に思い出せる相手がいないということは、すごく寂しいです。
もちろん夫婦でいたからといってそんな話ができるとは限らないというのは、身をもって知っているのですが、それでも夫婦でいることを諦めてしまっていいのか悩みました。
その日のできごとを「ねえ聞いて!」と言える相手がいたらな…と思うこともありました。
けれど、一緒に日々を過ごしていくこどもたちにとって、中途半端で説明できない状態を続けていくことはプラスにならないと感じ、離婚の決心をしました。
思い出は写真や動画なども使ってたくさん記録して、残しておこうと思います。
シングルになることで生まれる不安
シングルになることにより増える精神的負担もあります。
今は少なくなっていますが、実家に戻ったことによる親戚からの視線や、地元の友達の噂話。
自分の親にかけてしまう心配。
こどもが、ひとり親ということで偏見をもたれないか、私ひとりでしっかり育てられるのかという不安。
ひとりで3人養いつつ、働き続けられるのか。
シングルという状態でも賃貸の審査に通るのか。
二人いることで成り立っていた将来設計の見直しなど、不安だらけです。
この先、もしかするとこの離婚を後悔することがあるかもしれません。あの時自分が我慢していれば良かったのではないかと思う可能性も、ゼロではないと思います。
「自分らしく生きる」と言うと聞こえはいいですが、単に自分の耐体力がなかっただけかもしれません。
様々なことを全部我慢した、その先にある夫婦の形があるのかもしれません。
世の中の夫婦の多くは、そうやって1日1日を乗り越えて、続いているのかなとも思います。
ただ、シングルでやっていくと決めたからには、こどもたちに不自由をさせないように、必死に頑張りたい。そして、毎日笑顔で過ごせるようにしたいと思っています。
